Always rising to a new challenge

いつの時代も、
新しきを生きる。

Always rising to a new challenge

2026年、
同志社女子大学は
創立150周年を迎えます。

Always rising to a new challenge

いつの時代も、
新しきを生きる。

Scroll

創立150周年まで

あと

創立記念日2026年10月24日

2026年、 同志社女子大学は 創立150周年を迎えます。

1876(明治9)年の創立からまもなく150年。
時代とともに大きくその姿を変えてきた同志社女子大学ですが、
「キリスト教主義」「国際主義」「リベラル・アーツ」
これら3つの教育理念に基づく教育は現在も脈々と受け継がれ、
未来へとさらなる発展を続けています。

同志社女子大学の はじまり

新島襄
(1843~1890)
高い志を掲げた同志社創立者
J. D. デイヴィス
(1838~1910)
同志社英学校設立の構想が持ち上がったときから、それとペアの関係にある女子の教育機関の必要性を主張した。
山本覚馬
(1828~1892)
J. D. デイヴィスとともに、京都にキリスト教主義の女学校を設立することに力を尽くした。
新島襄・八重夫妻
1876年1月3日御苑内柳原邸にてJ. D. デイヴィス司式により京都で初めてのキリスト教式結婚式を挙げたころ

同志社の創設者である新島襄は、1864年に国禁を犯して脱国し、10年間アメリカで学んだ後日本に帰国し、1875年に同志社大学の起源となった同志社英学校を設立しました。新島は、同志社英学校の開学当初から「社会の発展には女子教育を盛んにすることが不可欠」との考えを持っており、妻・新島八重とともに「女子塾」の開設を進めます。 新島襄の思いは、同志社における女子教育にとどまらず、広く日本の女性全体に対する教育の関心へとふくらんでいきます。召天の1ヶ月前に、日本基督教婦人矯風会の書記を務めた佐々城豊壽に寄せた「世の革命者と成られよ。否世の改良者と成りて働かれたし」という言葉は、新島の女子教育観の集大成と言えるものです。 同志社女子大学の起源は、1876年、京都御苑内のJ.D.デイヴィス邸(旧柳原邸、現京都迎賓館の位置)内に開設された「女子塾」にあります。来日した女性宣教師A.J.スタークウェザーの書簡には、「デイヴィス氏が許可を得てこの市に居住するようになってからちょうど1年を迎えた記念日の5日後、10月24日から正規の授業を始めました」と紹介されています。このことにより、本学は創立記念日を10月24日と定めています。寄宿学校であったことから、「Kioto Home(京都ホーム)」とも呼ばれました。開学当初の生徒数は12人。「女子塾」では米国人宣教師A.J.スタークウェザーを中心に、八重も教鞭を執っています。こうして、京都における最初のキリスト教主義の女子教育が始まりました。

創立150周年に 寄せて

皆さまからのお祝いメッセージを
紹介いたします。
たくさんの温かいメッセージをいただき、
ありがとうございます。

忘れられない瞬間

同志社女子大学の合格発表当日。併願校の合格が先に決まっていたものの、やはり緊張感マックスで発表時間を待っていた。そして、ついに発表時間になり、HPのサイトで受験番号を見つけた瞬間!喜びや驚き、興奮が止まらなかった。結果はあまり期待せず、他大学への進学を考えていた私への奇跡が起こった。この瞬間は今も忘れられない。

卒業生

ヨーキーさん

学芸学部音楽学科

2016年卒業

協定大学の留学。有意義な時間となり、今の自分の基礎となりました。

卒業生

ERIKOさん

学芸学部

1999年卒業

田辺キャンパスで楽しく過ごした日々、そして沢山の学びを与えて頂いた先生方、本当に良い記憶です。

卒業生

Takakoさん

英語英文学科

1997年卒業

娘がこれなくて母が来ました。卒業後6年が経ち、転職しましたがなんとか正社員でがんばってます。

卒業生

みーちゃんさん

食物学科

「そして、また京都へ」

50余年前、卒業と同時に京都を離れましたが、その当時は全く縁がなくなることを寂しく感じたものです。その30年後に娘が同志社女子大に進学し、今は京都で家庭を築いています。時折り孫に会い、京都を散策する楽しみも出来ました。今出川を歩いていると学生時代に戻ったようで足取りが軽くなります。再び戻ってきたこのご縁の不思議さに感謝です。

卒業生

福岡県

松口泰子さん

学芸学部英文学科

1969年入学

1973年卒業

ジェームズ館前の庭に雪が一面に積もっていて雪だるまを作りました。学祭、吉田栄作さん、福山雅治さんが来ました。

卒業生

ちえり~さん

食物学科

1992年卒業

田辺キャンパスの階段が大変で、2回生の時にエスカレーターが出来たのがすごいなと思ったです。

卒業生

原科 郁子さん

短期大学部日本語日本文学科

1996年卒業

バレーボール部に所属していて夏合宿でみんなで自炊したり、京都御所をランニングしたりいい思い出です。

卒業生

ゆうこさん

日本語日本文学科

1999年卒業

ジェームズ館の2階の廊下やドアのきしむ音にドイツ語の授業で苦労した事を思い出して思わず苦笑。あ~なつかしい。

卒業生

まこさん

食物学科

1987年卒業

久しぶりに友達と会えてうれしかった。同女Love。おもわぬ出会いもあったよ。

卒業生

あらしっくさん

食物学科

1987年卒業

創立150周年に 向けた取り組み

ご支援を お考えのみなさまへ

同志社女子大学サポーターズ募金“ぶどうの樹”の名称は、本学エンブレムに記される聖書の一節、EGO SUM VITIS VERA「わたしはまことのぶどうの木」から引用しています。

本学を経て羽ばたいてゆくすべての女性、本学を構成するすべての人が、どの地にあっても、ぶどうの木の蔓・枝・葉のように連なり支えあうことで、その支えが新しい時代へとつながり、ゆたかな世界をつくる若い力の一助となることを願っています。

同志社女子大学創立150周年記念事業にご理解とご賛同をいただき、ご支援を賜りますよう心からお願い申し上げます。