母から娘に受け継がれた、学び続ける心。

1980年 卒業
伊藤 万紀子さん
学芸学部 英文学科
2014年 卒業
伊藤 奈月さん
表象文化学部 英語英文学科
同志社女子大学で学び、高校の英語教師となった母・伊藤万紀子さんと娘・奈月さん。
卒業後も学びを重ね、母の万紀子さんは定年後の現在、母校で講師として教える立場に。
お2人の歩みには、同志社女子大学で育まれた学びへの思いと人とのつながりが息づいています。

(写真左から 娘・奈月さん、母・万紀子さん)
Ⅰ.同志社女子大学への進学の動機やきっかけをお聞かせください。
伊藤 万紀子さん(以下、「万紀子さん」):小学2年生のときの担任の先生がとても素敵な方で、小学校の教師になることが将来の夢になりました。さらに、小学5年生から通った英語教室がきっかけで、中学・高校の英語教師を志すようになり、大学受験では外国語学部のある大学を第一志望にしていました。残念ながらその大学には進めませんでしたが、「合格したところで頑張りなさい」との母の言葉に背中を押され、同志社女子大学の英文学科へ。結果的に多くの恩師や友人との出会いに恵まれ、現在も続くつながりは、私の人生のかけがえのない財産になっています。
伊藤 奈月さん(以下、「奈月さん」):母の友人や恩師との交流を見ていた私にとって同志社女子大学は身近で憧れの大学で、女子大ならではの関係性や歴史あるキャンパスにも惹かれていました。また、英語を話すことで普段と違う自分になれる感覚を経験し、英語を通じて様々な話題に触れられる英語教師の道に進もうと思いました。最初の大学受験では同志社女子大学への入学がかなわず、別の短期大学へ進学しましたが、1年次秋の転入学試験で念願の同志社女子大学生に。単位未修得の必修科目受講など忙しかったものの、憧れの同志社女子大学で夢に向かって学べることがうれしく、充実した日々でした。

Ⅱ.学生時代について印象に残っている思い出は何でしょうか?
「やってみたい」から広がった、それぞれの学生生活。

万紀子さん:通学に片道約2時間かかり大変でしたが、初めてのことや「やってみたい」と思ったことには何でも挑戦した学生生活でした。入学後のオリエンテーションでもその意気込みが表れていたのか、クラスの代議員を勧められ、後に学生会長も務めました。EVE(大学祭)に実行委員として参加したことも楽しい思い出です。先生方や友人たちが、関西弁で遠慮なく意見を言う私を受け入れてくれたおおらかさは、同志社女子大学の魅力のひとつだと感じます。授業も一番前の席で受講し、よく質問していました。小田幸信先生のゼミでは、学んだ内容やゼミ生の声を記録したくて、ゼミ通信の制作を提案したところ、先生も同じことを考えておられてうれしかったことを覚えています。ゼミ通信の発行は、現在でも続けています。(The Oda Times~半世紀を超えて~)
奈月さん:プロモーション委員会に参加し、広報部の方と同志社女子大学の魅力を伝える活動に取り組み、広報誌の制作にも携わりました。他の学部・学科の学生や職員の方と関わることで刺激を受け、世界が広がったと感じます。その活動をきっかけに、新聞広告のインタビュー企画にも参加し、母の在学中の写真とともに掲載していただきました。3年次からは、音声学がご専門の今井由美子先生のもとで、「舌や唇、喉などの使い方でこんなにも発音が変化するのか」と驚くとともに興味が深まり、自分自身の発音も大きく変わりました。今井先生は発音が本当に美しく、海外留学での経験などさまざまなお話も聞かせてくださり、私にとって教師、そして働く女性としてもロールモデルとなる存在でした。
時を超えて母娘をつなぐシェイクスピアの舞台。
万紀子さん:3年次のドラマクラスで『奇跡の人』のサリヴァン先生を、4年次にはシェイクスピア・プロダクションで『ベニスの商人』のグラシアーノを演じました。グラシアーノは希望していた役とは違ったもののユニークな役どころで、指導担当の石田章先生やADが私のキャラクターを考えてくださったうえでの配役だったと思います。そのおかげもあり、他の授業や学生会の活動、教育実習等を両立させ、大変ながらも楽しく有意義な経験となりました。一つの舞台をつくり上げる過程では、メンバーそれぞれの意見の違いから葛藤もありましたが、2度の合宿を経て上演にこぎつけた時には言葉にできない充実感、達成感があり、仲間との絆も深まりました。
奈月さん:母のようにアクティブではなかったものの、せっかく同じ大学・学科に進んだのだから、同じ経験、特にシェイクスピア・プロダクション(SP)にはぜひチャレンジしたいと思っていました。同志社女子大学に進学したことをとても喜んでくれていたので、親孝行になればという思いもありました。『真夏の夜の夢』で公爵シーシアスを演じたときには、母がかつて立った舞台を経験できたことと、母、姉、祖父、伯母にもその姿を見せられたことの2つの喜びがありました。私自身、自分を発信する度胸と自信がついたSPでの体験でした。辻英子先生、ティモシー・L・ メドロック先生のご指導に感謝しています。母も感慨ひとしおだったようで、今も母娘共通の経験として大切な思い出となっています。


Ⅲ.卒業後に感じる、同志社女子大学の魅力とは何でしょうか?
万紀子さん:卒業後は大阪の公立高校で英語教師として41年間教壇に立ちました。「英語が苦手な生徒にも学ぶ楽しさを伝えたい」。その一心で授業を工夫し、英語通信を作るなど奮闘を続けました。50歳のときに、これまでの実践を振り返って整理し、学びを深めたいと考え、関西大学大学院の現職教員1年制課程に進学。学ぶことに終わりはないことを実感しました。また、同志社女子大学の恩師とのご縁から、「教職を語る会」「語学教師の会」にも講師として参加し、定年後は同志社女子大学で英語の嘱託講師を務めています。小田ゼミやシェイクスピア・プロダクションの当時の仲間との交流は今も大きな励みになっています。同志社女子大学で得た、仲間とともにチャレンジする喜びは変わらず、今も私の心強い支えです。
奈月さん:私も卒業後、高校の英語教師になりました。経験を重ねる中で、英語をより効果的に楽しく教えるために「教師としてブラッシュアップしたい」との思いが募っていきました。そんな時に現職教員の長期派遣研修制度を知り、2023年に国際教養大学大学院の専門職大学院に進学しました。2年間、英語教育におけるアプローチの追究に専念したことで多くの気づきがあり、現在はその成果を高校の教壇で生かせるよう努めています。生徒の「やってみよう」という気持ちを引き出せるよう、今井ゼミで学んだ音声学に基づく発音の指導にも力を入れています。私が同志社女子大学で先生方との出会いに恵まれたように、私も生徒の中に何かひとつでもプラスの影響を残せる教師でありたいと思っています。

同志社女子大学創立150周年にあたって
50年後につながる、出会いと学びを大切に。
万紀子さん:この5年間、同志社女子大学で担当している授業で「50年後の皆さんはどうなっているでしょうか?想像してみてください。」と語りかけることがあります。私自身をふり返ると、同志社女子大学で出会った先生方や仲間は、卒業後の50年間、人生を支えてくれる大切な存在でした。恩師とのご縁から新しい学びが生まれ、生き生きと人生を楽しむ仲間から前を向いて進む力をもらってきました。学生の皆さんにも、ぜひ同志社女子大学での出会いを大切にしてほしいです。そして私も「学ぶことに終わりはない」という気持ちで、これからも歩んでいきたいと思います。
節目の今、改めて感じる同女とのつながり。
奈月さん:在学中に創立135周年を迎え、「創立150周年の頃には何をしているだろう」「本当に教師になれているかな」と考えたことを覚えています。その節目を実際に迎え、教師として働きながら、今回のインタビュー企画で再び同志社女子大学とつながる機会をいただけたことに感激しています。学生時代、素晴らしい先生方の教えを受け、「同志社女子大学に入学してよかった」と日々感じていました。これまでの経験から、何事も学びにつながることを体感できたおかげで、今もその思いが私の教師としての原点となっています。今の学生の皆さんにも、人とのつながりを大切に同女でのご縁を感じて時間を過ごしてほしいです。
