歴史
吉海直人(名誉教授)
同志社女子大学には看護学部が設けられている。これは大河ドラマ「八重の桜」で新島八重が看護師として活躍していたことを受けたかのように、2015年4月に開設された新学部である。
もともと同志社には京都看病婦学校があった。開業は明治19年で、西日本では最古(日本では2番目)の看護学校として日本看護師の歴史に名を留めている。本来は同志社が経営する看病婦学校であったが、京都市民から寄付を受けていることもあって、あえて京都看病婦学校という名称になっている。要するに同志社の学校でもあり、同時に京都市民のための学校でもあるのだ。これが京都における同志社の存在意義を象徴しているような気がしてならない。
たとえば京都府立医科大学は、覚馬が舎密局の明石博高に作らせた西洋医学による療病院を前身としている。それもあって京都府立の大学なのである。しかしながら覚馬が手掛けた学校がすべて府立というわけではない。途中で民間に払い下げられたものもある。覚馬が作らせた独逸学校は、現在の私立京都薬科大学の前身である。そして覚馬が結社人として新島と開業願に連署した同志社英学校も私立学校である。現在の我々は国立か公立か私立かという区別を意識するが、覚馬にとっては公立か私立かなどどうでもよかった。要するに京都に必要な学校を誘致したり設立したりしているだけだからである。
京都府立医科大学から看護学部に来られた細井創先生は、京都府立医科大学と同志社は、公立・私立の違いを超えた姉妹校であるとおっしゃっている。それを敷衍すれば、覚馬が手掛けた京都の学校は、すべて姉妹校ということになる。そんな発想・見方は同志社側にはなかった。それは新島の発想にもなかったのではないだろうか。新島にとっては、アメリカン・ボードの資金と人材によるキリスト教の学校及び教会の設立が使命だったのだから。
ところが一緒に同志社を作った覚馬の方は、それ以外の諸学校と同様、京都に必要な学校だから作ったのである。戊辰戦争で荒廃した京都、天皇の東京行幸で首都の地位を奪われた京都は、復興と近代化のための人材育成として、東京より早く小学校を立ち上げた。それに続いて中学校、女紅場、英語・ドイツ語・フランス語等の外国語を専門に教える外国語学校、農牧学校、看病婦学校などなどと矢継ぎ早に学校を設立し、効果をあげている。
こういった覚馬の思惑からすると、同志社はただの私立学校ではありえないことになる。新島は日本人の牧師を養成して、日本中にキリスト教を広めるという大義があったのだろうが、覚馬は京都の復興・近代化のための人材育成を望んでいた。そして二人の思惑は、ともに同志社英学校の卒業生が具現していった。それが現在まで継承されているとすると、同志社は有名私立大学というとらえ方とは別に、京都のために尽力する人材を輩出する京都の大学というもう一つの側面も有していることになる。
同志社はたまたま京都にあるというのではない。京都に必要な学校だったから、京都に求められて作られた学校だったのだ。少なくとも覚馬にとって、公立か私立かなどどうでもよかった。ただ京都に必要な学校を設立しただけである。だから覚馬の視点に立つと、同志社と京都府立医科大学は間違いなく姉妹校なのである。150周年を迎えた同志社は、あらためて京都に必要な同志社という歴史認識、京都と同志社の絆の強さを真摯に考えていただきたい。