歴史
吉海直人(名誉教授)
たまたま名古屋の古書店から「津保美第八開」(明治23年10月20日)という小冊子を入手した。この小冊子については、創刊号というか第一開に新島八重が「「つぼみ」について」という一文を掲載していることから、記憶に残っている。
冊子の発行所は、大阪の「女文会」となっている。早速、図書館で「タイトル」を検索してみたところ、国会図書館所蔵のものがマイクロフィルム版になっていることがわかった。その書誌によれば、新島襄が亡くなった明治23年1月に第一開が発行されてから、第二十四開(明治25年4月)で終刊になっている。月刊でほぼ二年間続いたことになる。
この「つぼ美」に関しては、本学名誉教授の坂本清音先生が総合文化研究所紀要四号と一五号に論文を掲載しておられることを知り、参照させていただいた。当初は梅花女学校が中心となって、そこに近畿圏のキリスト教女学校が参加し、新たに「女文会」という組織が結成されたとのことである。それによって、これまで梅花女学校が発行していた「梅花余香」が「つぼ美」と改名され、拡大して発行された。
この「女文会」設立の目的としては、①姉妹校の修交、②文学の奨励、③女学の開進、と謳われている。内容は女学生たちによる純粋な文芸誌となっている。この時代の女学校生の文芸活動を知る資料としても貴重である。
あらためて「津保美第八開」の表紙をめくってみると、見返しに「同盟姉妹校」として、
京都 同志社女学校 大坂 梅花女学校 神戸 英和女学校 岡山 山陽英和女学校
鳥取 英和女学校 伊予 松山女学校
と出ていた。さらに「会友」として、
肥後 熊本女学校
も加えられている。設立当初は四校だったものが、第八開で七校に拡大していることがわかった。最終的には大阪一致女学校(現在の大阪女学院大学)、神戸松蔭女学校、名古屋清流女学校が加盟して十校にまで増加している。
末尾に会友として名のあがっている熊本女学校には見覚えがある。かつて新島八重を追いかけていた時、新島が「美徳以為飾」と書いて熊本女学校(竹崎順子校長)に贈ったことが、八重の回想の中に出ていたからである。姉妹校の山陽英和女学校にしても、明治42年5月6日に八重が「白虎隊につきて」という題で講演した女学校であった。これは新島の教え子である上代知新(かじろともよし・上代淑の父)との関係のみならず、八重の養女初子と結婚した広津友信が一家で岡山に住んでいたからであろう。また鳥取の英和女学校との親密な関係は、やはり本学名誉教授の近藤十郎先生が「同志社女子大学史料室講演会記録」に詳しく述べられている。
これらのキリスト教主義の女学校は、アメリカン・ボードの宣教師や新島との関わりが深く、必然的に教師の中に同志社英学校や女学校の卒業生たちが少なからず含まれていた。それもあっての「同盟姉妹校」なのではないだろうか。それにしても明治23年の時点で、キリスト教主義の七つの女学校が連携し、一つの文芸冊子を協力して刊行していたという事実には驚かされる。こういった過去の歴史があるのだから、それをもう一度復活させることはできないものだろうか。
現在、本学は日本女子大学・フェリス女学院大学・金城学院大学と協定を結んでいるが、ここに掲載されているかつての「同盟姉妹校」とも何らかの交流が持てたら、と思わずにはいられない。もっとキリスト教主義の大学は連携を推進・強化すべきではないだろうか。