歴史
吉海直人(名誉教授)
みなさんは次の和歌をご存じだろうか。
吉野山花待つころの朝な朝な心にかかる峰の白雲
これは新島のエピソードの一つである「自責の杖」事件で引用された有名な歌である。同志社関係者には是非知っておいてほしい。大河ドラマ「八重の桜」では、オダギリジョー扮する新島が、生徒達を罰するかわりに校長自らが責任を取るといって、杖が折れるまで自分の左手を打ち据えていた。その迫真の演技に、思わず涙した人もいるに違いない。しかし残念なことに、その「自責の杖」場面にこの和歌は詠みあげられなかった。
ところでこの歌の作者は誰かご存じだろうか。かつては安易に新島の自作と思われていたこともあった。また幕末勤王の志士が詠じた歌というとんでもない説もあった。それは新島研究者が古典和歌に疎かったからである。和歌の知識がある人ならば、すぐに淀藩の佐河田昌俊(1579~1642年)の歌だということがわかるはずである。
この昌俊(喜六)という人は、小堀遠州や松花堂昭乗とも親しい近世初期の一流文化人である。当然「吉野山」歌は有名で、後水尾院撰『集外三十六歌仙』(近代三十六歌仙)や緑亭川柳撰『秀雅百人一首』に収録されている。また川田順撰『戦国時代和歌集』(昭和18年刊)にも含まれている。さらに興味深いことに、三代将軍徳川家光がこの歌を色紙にしたためており、その複製自筆色紙が名古屋にある徳川美術館のミュージアムショップで販売されていることまでわかった。それほど有名な和歌だったのだ。
もう一つ、長い間誤解されていたことがある。それはこの歌の解釈がゆがめられていたことである。その原因は和歌の本文異同にあった。同志社では二句目が「花咲くころの」として引用されている。それに対し元歌は「花待つ」となっている。「花咲く」と「花待つ」では、花の状態がまったく異なる。「花咲く」だともう花は咲いていることになるが、「花待つ」だとまだ開花していないからだ。そしてこの違いが、末尾の「白雲」の役割を大きく変容させることになる(「白雲」を「白雪」としているのは間違い)。開花している状態では、「白雲」は花を見たい人にとって花を隠す邪魔な存在というか障害になる。従来はこちらの解釈が通用していた。そこから「吉野山の花が散ってしまわないかと気が気でならないように、生徒達のことが気がかりでならない」と訳されてきたのである。
ところが古典和歌の常套では、「白雲」は決して花見の邪魔をするものではなかった。花を隠すのは、「白雲」ではなく「霞」の役割だからである。むしろ「白雲」は「待つ」と結び付くことによって、まだ咲いていない花と見間違うものとして歌に詠まれることが常套であった。つまり「白雲」は、花が咲いたのかと一瞬勘違いさせる存在だったのである。まだ咲いていないのだから、当然散ることなどありえない。これを本来の「待花」題で訳すと、「吉野山では花を待つころの毎朝毎朝、峰にかかる白雲を見て、花が咲いたのではないかと見てしまうことよ(早く咲いてほしい)」となる。これでは生徒たちのことを気にかけるたとえとしては使えそうもない。
そうなるとこの歌の誤読は、新島自身が生徒達への訓戒のために、あえて「咲く」として意図的に解釈を変えているのかもしれない。あるいは後世の同志社人が新島の心を汲んで、教師として理想的な話に仕立てたとも考えられる。いずれにしても、本来この和歌は「待つ」本文であったことを覚えておいていただきたい。