歴史
吉海直人(名誉教授)
平成12年(2000年)11月29日に『同志社女子大学125年』が発行されている(10月24日発行が望ましかった)。この本は同志社女学校創設以来の貴重な写真や文書等を収録した、それこそ貴重な資料集である。それ以上に、初めて女子大学の教員によって、女子大学の歴史が語られた記念すべき成果だといえる。幸運なことに、その折には宮澤正典先生と坂本清音先生が在職しておられたので、核となる第1章から第4章はお二人によって執筆されている。おそらくお二人がいなかったら、この本は刊行できなかったか、できたとしてもただの写真集になっていたに違いない。
そのことは150周年記念として『同志社女子大学の始まり』の執筆に携わって、否応なく実感させられた。今や同志社女子大学の歴史を語れる先生は皆無に近い。宮澤先生や坂本先生に匹敵する教員が不在だからである。また今回の出版の目論見は、同志社大学では決して取り上げられない、同志社女子大学独自の始まりの歴史をまとめることにある。ということは、これまで蓄積された成果はほとんど役に立たないということである。これまでの同志社の記念誌の中で、女子大学の占める割合はそれほど小さかったということである。そんな中で、唯一頼りになったのが『同志社女子大学125年』であり、特に坂本先生が担当された第1章であった。もしこれがなかったら、おそらく私は途方に暮れたであろう。
私がこの本を高く評価しているのは、宣教師文書に基づく詳細な記事だという点だけではない。その叙述の中に、従来とは異なる坂本先生の新しい解釈がふんだんに含まれているからである。しかしこれまで坂本先生の御見解は、あまり評価も賛同もされなかったように思える。それは同志社が示す歴史の指針からはずれていることが原因なのかもしれない。あるいは従来の見解に反論しているからかもしれない。もっといえば、誰も女学校の歴史に興味がなかったからであろう。それほど女学校の歴史は、同志社の歴史の陰に埋没していたのである。
このたび150周年を迎えるに際して、どうせなら同志社の歴史の中の女子大学ではなく、女子大学そのものの歴史を浮き彫りにしたいという思いが強くあった。そんな目で資料に当たっていると、しばしば坂本先生がお書きになったものがヒットした。あらためて読んでみると、なんと私がやろうとしていることを既に坂本先生がやっていらっしゃることに気付かされた。申し訳ないことに私自身、坂本先生の成果を表面的にしか見ていなかったのである。
具体的に述べると、坂本先生は「アメリカの母たち」で、新島には実母以上に慕っていた「アメリカの母」たちと呼べる女性が3人(ハーディ夫人、シーリー博士夫人、ミス・ヒドン)いた。しかし、「アメリカの母たち」がどのような教育を受けたかということは、新島にはあまり関心がなかったと指摘されている。さらに新島がやっかいになったハーディ家に娘がいなかったことも、アメリカにおける女子教育について考える機会を失する大きな要因と分析しておられる。だから新島の眼中に、女性の教育の貧困さを不審に思う気持ちがなかったとしても不思議ではなく、したがって帰国直後の新島に「英学校を創るなら女学校も」という熱意が、他の宣教師たちほど強くなかったとしても無理はないと結論付けておられる。要するに女学校は新島が率先して創ろうとしたものではなかったのだ。
続いて「女学校問題」において、坂本先生は新島とスタークウェザーとの不幸な関係は1878年、夫人八重の母 山本佐久が新校舎の舎監として女学校に住み込むようになった時から深刻になったとされる。すなわちスタークウェザーがホームの中でもっとも大切と思っている「生活を通してのキリスト教の感化」を、山本佐久と八重母子によって邪魔された。始めのうちは生徒たちは私たちに素直に耳を傾けているのに、ある時から私たちに対する信頼は失われ、なんとも気鬱な雰囲気がホーム内に漂い始めたことを分析しておられる。スタークウェザーは新島のように生徒の心をつかむことができなかったようだ。
そのことはラーネッドの「女学校問題報告書」においても新島夫人の存在を挙げ、「彼女は大筋において優れた夫人であるが、京都ホームでは役に立たないばかりでなく、彼女の影響力が女教師に対して不利に作用し、不平分子を煽り立てる結果になっており、このことは事態を一層難しくしている」とあることを紹介しておられる。さらにラーネッドは「この国では、新島さえ、女性が学校の長になるという考えになじめない」、また「日本社会に根強くある男尊女卑思想は女学校の責任者としての意識を強く持っていた女性宣教師と日本人男性教師との間に大きな軋轢を生む結果となった」と報告している。
ただし2度目の外遊から帰国した新島は、女学校のことに関して即座に女性宣教師(クラークソン)の主導権を認め、積極的に支援するようになったと締め括っておられる。それが功を奏して授業も再開されたのである。こういった分析は、宣教師文書を調査研究された坂本先生でなければ書けないものであろう。坂本先生の御研究に心から感謝したい。みなさんも是非『同志社女子大学125年』の第1章を熟読していただきたい。