人物
吉海直人(名誉教授)
新島襄が眠る若王子の墓地へ登ってみると、妙に立派な墓石が目に入る。最初の墓石が昭和61年(1986年)に壊されたので、新しく作り直したからである。その墓石には「新島襄之墓」と書かれている。これをよく見ると、「島」の横棒が一本足りないことに気づく。これを揮毫した勝海舟が、勢いで書いたものだからと書き直さないまま墓石に刻まれたためである。そのことに気付かない人もいるので、自分の目で確認してほしい。
その新島の墓の左に、小ぶりの墓石がある。それが新島の妻八重の墓である。どうして夫婦なのに一緒の墓に入っていないのかと不思議に思う。しかもこちらもよく見ると、「新嶋八重之墓」(徳富蘇峰の揮毫)と書かれているではないか。夫婦二人の墓が別々なだけでなく、そこに彫られている名字も、「新島」・「新嶋」と異なっていたのである。新島襄研究の第一人者である本井康博氏によると、戸籍は「新嶌」となっているとのことなので、それを含めると三様の漢字表記が存することになる。どれが正しいのかと聞かれても困る。どれも間違っているわけではない。おそらく統一する気などなかったのであろう(戸籍も厳格ではなかったようだ)。
もう一つ、「新島」に関しては、ローマ字というか英語表記にも問題があった。普通には「Niijima」と綴るが、本人も八重も「Neesima」とサインしているからである。それをどう発音するのかというと、「Niijima」なら「ニイジマ」であり「Neesima」なら「ニイシマ」になる(「ネイシマ」とも読まれている)。要するに「島」を清音で読むか濁音で読むかということになる。「どっちが正しいのか」と質問されることもあるが、どちらが正しいのかは明確ではない。現在でも連濁はありうる。中には上州訛りでは「ニイシマ」だが、京都では「ニイジマ」と発音するという方言説もある。しかし新島は江戸生まれだし、八重は会津生まれである。そうなるともう少し広げて、関東(東日本)では「ニイシマ」、関西(西日本)では「ニイジマ」ということになるのだろうか。もっとも当の本人は、そんなことにはこだわっていなかったようだ。
ついでに妻の「八重」について、「八重子」と「子」を付けた表記も見られる。これは慣用表現で、本来「子」は付いていなかった。明治以降に女性の名前に「子」を付けるようになったことで、「八重子」と表記されるようになる。これも許容範囲であり、外野が目くじらを立ててとやかくいうほどのことではなさそうだ。なお八重は京都に来ても会津弁のままであった。それがたまたま英語表記に反映されている。というのも、八重は自分の名前を英語で「Yai」(やい)と綴っているからである。東北弁では「え(へ)」と「い」が曖昧というか入れ替わることもあった。また「Yaye」という表記もあり、これだと「やゑ」と発音することになる。新島夫妻の名前にはこんな表記上の問題が存していたのである。