#6 スタークウェザーの「5月2日」

歴史

吉海直人(名誉教授)

 同志社の歴史に詳しい本井康博先生は、「同女誕生のブラックホール」あるいは「同女創立をめぐるミステリー」として、同志社女子大学の創立記念日の可能性は16通りもあると指摘しておられる。これはとんでもない数である。もちろん有力な説は10月24日と4月21日の二案に絞られるのだが、細かな候補としてはこんなにたくさんあげられるのだ。それだけ創立記念日に関しては明確な根拠、あるいは定義が示しがたいのであろう。

 例えば4月21日説には疑義が表明されている。というのも、同志社分校女紅場の私塾開業願が提出されたのが4月23日であり、それが認可されたのが4月28日だからである(これで3通りになる)。本来ならば創立は4月28日とすべきではないだろうか。では何故4月21日となっているかというと、同志社の内部資料である学校日誌に、「明治十年四月廿一日、柳原邸内ニ於テ女学校開設ス」(同志社記事「社務第18号」)と書かれていることを根拠にしているからである。あるいはこの日、授業が開始されたのかもしれない。もしそうなら、創立は書類の届け出ではなく実際に授業が開始された日ということで統一できそうである。

 ところがこの二案とは別に、もう一つ検討すべき創立記念日の候補があった。ウーマンズ・ボードの機関誌『女性のための生命と光』(六巻十号・1876年10月)に掲載されているスタークウェザーが送ったクラーク宛書簡(報告)に、『私は新島氏を教師として確保し、5月2日から毎日授業を始めました。(1876年5月10日書簡)』とある。これについては坂本清音先生から教えていただいた。この訳文をそのまま解釈すれば、5月2日から新島と一緒に女子塾の授業を開始したと読めてしまう。しかも根拠がスタークウェザーの報告書であるから、信憑性はかなり高いことになる。これに依拠すれば、女子塾の開始は同志社英学校が開校された半年後(10月24日より半年も早い)ということになる。

 ただ新島が女子塾の開校・授業にそんなに熱心だったとは思えないので、確認のために英文(自筆ではなく活字)を見たところ、「Mr.Neesima」と記されていたので、「新島氏」は襄のことで間違いなさそうだ。私はこれで行き詰ったのだが、本学名誉教授の坂本清音先生は、宣教師文書の調査の中でもう一通の重要な書簡を見つけ出しておられる。それは八月付けスタークウェザーの書簡であるが、そこには、『5月2日にお八重さん(Mrs.Neesima)から、最初のレッスンを受け、』云々と書かれていたのである。両書簡は同じ日付のことであるが、二つの大きな相違点がある。一つは「Mr.」が「Mrs.」になっていることである。もしそうなら、この新島は襄ではなく八重(おやゑさん)のことになる。加えて坂本先生は、8月付けの書簡の方が資料的価値の高いものであり、10月付けの書簡は自筆の手紙が活字にされる過程で「Mrs.」が「Mr.」に誤読された可能性が高いとされている。

 そしてもう一つの相違点は、「授業を始めました」が「レッスンを受け」になっていることである。従来はこの「授業」を女子塾の授業と見ていたのだが、「レッスン」はスタークウェザー自身が受けたレッスンになる。そうなるとこれは日本語の個人レッスンということになりそうだ。ということで、この書簡は女子塾の創立とは無関係になる。どうやら5月2日創立記念日説は、人騒がせな思い違いから生じたものだったようだ。