#2 初期同志社経営のからくり

歴史

吉海直人(名誉教授)

 学校経営で一番お金がかかるのは人件費である。だから教師の数と学生の数のバランスが大事なのである。最近は18歳人口の減少により、撤退する大学が増えてきた。現在日本には国公立私立含めて800もの大学があるが、その半数では既に定員割れを起こしている。女子大学はもっと深刻であり、7割以上の大学が定員割れとなっている。そのため多くの大学は授業料収入をあてにせず、資金運用の利益によって赤字を補填している。それなりの資金を有している大学ほど安泰ということである。

 では同志社が創立された頃はどうだったのだろうか。これに関してはNHKEテレで2023年11月20日(月)の午後7時半から「偉人の年収Howmuch?ハンサムウーマン新島八重」が放送された。もっとも八重は偉人ではないし、年収といっても女紅場で働いた経験くらいしかないので、どうもピンとこなかった。むしろ八重の生活は夫の新島の給料で成り立っていたはずなので、新島の給料について考えてみたい。

 同志社英学校が開校した初年度、入学生の数は8人であった。彼らが収める授業料はたかが知れているから、それで新島やデイヴィスの給料が賄われることは不可能である。それは女学校も同様であった。最初の生徒数は12名であるから、その授業料ではスタークウェザーの生活など賄えるはずもなかろう。しかしながら宣教師たちが貧乏だったという話は聞いたことがない。

 では同志社が創立された頃はどうだったのだろうか。これに関してはNHKEテレで2023年11月20日(月)の午後7時半から「偉人の年収Howmuch?ハンサムウーマン新島八重」が放送された。もっとも八重は偉人ではないし、年収といっても女紅場で働いた経験くらいしかないので、どうもピンとこなかった。むしろ八重の生活は夫の新島の給料で成り立っていたはずなので、新島の給料について考えてみたい。

 同志社英学校が開校した初年度、入学生の数は8人であった。彼らが収める授業料はたかが知れているから、それで新島やデイヴィスの給料が賄われることは不可能である。それは女学校も同様であった。最初の生徒数は12名であるから、その授業料ではスタークウェザーの生活など賄えるはずもなかろう。しかしながら宣教師たちが貧乏だったという話は聞いたことがない。

 では新島たちは一体どうやって生活費を得ていたのであろうか。その答えは明快である。アメリカン・ボードの宣教師として派遣されていたので、給料はアメリカン・ボードから送金されていたのである。デイヴィスのような宣教師は年俸1200ドル(ほぼ1200円)、新島は準宣教師なので年俸800ドル、スタークウェザーのような女性宣教師は年俸600ドル(男性の半額)であった。デイヴィスの年俸はちょうどNHK朝ドラ「ばけばけ」のヘブン先生と同額である。新島は月45円の覚馬よりずっと高給取りだったのだ。

 もちろんそれ以前に学校の敷地や建物の費用などもすべてアメリカン・ボードのお金であるから、間違いなく同志社はアメリカン・ボードの学校だったのである。資金をもらう以上、定期的に報告書を提出して了承を得ることを義務付けられている。それが膨大な宣教師文書である。もともと新島はラットランドの総会で、日本にキリスト教の学校を作らせてほしいと訴えて寄付金を集めたのだから、単なる英学校を作るはずはなかろう。同志社は間違いなくアメリカン・ボードの経営するトレーニング・スクールだったのである。だからこそアメリカの資金が使えたのだ。新島の邸にしてもアメリカの資金で建てられたものである。他にハーディさんからの仕送りもあったに違いない。そのことに新島は何ら負い目など抱いていない。

 しばらくして熊本バンドの学生たちが卒業し、同志社の教師として勤めることになる。彼らの給料は学生の授業料から支給された。もちろん学生数はかなり増えているものの、彼らの給料は月に15円程度であった。年俸にすると180円になる。新島と比較すると、いかに低賃金で働いていたかは一目瞭然であろう。実のところ新島たち宣教師は、学校の教師としては無給で働いていた。要するに単なる英語の教師ではなく、学校を通してキリスト教の信者を増やすこと、さらには日本人の牧師を養成することを目的として派遣されていたのである。新島の死後、日本人教師たちによってその体制が批判され、日本人主体の学校経営に変えられていった。それが現在の同志社なのである。

 今の同志社はキリスト教主義の学校ということになっている。というより学校が大きくなるにつれ、クリスチャン率は低下し、普通の私立大学とほとんど変わらなくなっている。果たして150周年を迎えた同志社を見て、新島襄は喜んでくれるだろうか。たとえ新島の目論見とは違っているものの、今の同志社は新島精神を受け継ぐ学校であると胸を張っていえるだろうか。