#1 同志社の創立者は三人!

人物

吉海直人(名誉教授)

 同志社の創立者は誰?と質問されたら、即座に「新島襄」と答える人がほとんどであろう。そう教わってきたのだから当然である。だから最近になって新島が単独で創立したのではなく、新島と山本覚馬とデイヴィスの三人が力を合わせて創立したといわれても、違和感を抱く人が多いに違いない。もちろんラットランドにおいて、新島は日本にキリスト教の学校を作りたいと訴えて寄付金を得た。しかしだからといって、それですんなり学校が作れるほど甘いものではない。その証拠に、新島は大阪に学校を作ろうとして、キリスト教嫌いの知事から反対され、失敗しているではないか。

 ではどうして京都では成功したのだろうか。それは京都にキリスト教の思想を理解していた覚馬がいたからに他ならない。その覚馬が京都府の槇村に働きかけ、新島と組んで結社人として連名で私塾開業願を提出している。さらに学校の敷地を格安で提供してくれたからこそ作れたのである。盲目かつ体の不自由な覚馬ではあるが、ある意味では同志社創立最大の功労者である。新島が学校を作ったというのであれば、覚馬は新島に学校を作らせたともいえる。

 そしてもう一人、教師としてのデイヴィスの存在も大きかった。デイヴィスは先輩宣教師(新島の上司?)として、既に神戸で英学校と女学校を立ち上げていた。そのデイヴィスが同志社英学校の教師として授業を担当していなければ、到底新島一人で学校運営などできるはずはなかったからである。むしろ実質上はデイヴィスの方が校長としてふさわしいくらいだ。少なくともデイヴィスという教師なくして、英学校は成り立たなかった。

新島研究者の故北垣宗治先生は、この三人の誰か一人でも欠けたら、同志社は創立できなかったと断言しておられる。従来はどうしても校祖新島にウエイトが置かれていたので、新島を二人が助けた、つまり新島が主で他の二人は従あるいは副として語られてきた。それが主従ではなくようやく同格として認識されつつあるのである。

考えてみればわかりそうなものである。一体、新島に学校を作ったり授業をした経験があるだろうか。京都に知り合いがいるわけでもなく住んだこともない新島に、学校用の土地や建物を確保することができたであろうか。こういったことはすべて覚馬がお膳立てしてくれたのではないか。というより、新島は覚馬の家に居候させてもらっていたではないか。学校運営の表舞台には出ないかもしれないが、覚馬は単なる助力者をはるかに超えた存在であった(理事長)。

 これまでは新島の作った学校として語られてきたことを反省して、これからは新島と覚馬とデイヴィスの三人が協力して同志社を創立したと説明すべきであろう。特にこれまで埋もれていた山本覚馬の京都における重要性について、もっと再確認していただきたい。キリスト教の学校を京都に作らせた功労者として、山本覚馬の名を忘れてはなるまい。